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山と共に生きる知恵 ~吉野林業~

山と共に生きる知恵 ~吉野林業~

「借地林制度」と「山守制度」

「長伐期」を可能にしたのが、1700年頃から始まった「借地林制度」と「山守制度」。

林業は植林してから伐採まで、ようするに収入を得るまで80年~100年と親子3代~4代の長い期間がかかります。この期間を個人で林業経営するのは難しく、林業の後継者不足の大きな要因にもなっています。

稲作に適した平野が少ない吉野では生活を維持していくのが困難となり、村外の豪農・豪商に依存することにしました。今で言う「ファンド」のようなものでしょうか。

この制度により山林の所有権は失いましたが、仕事場と収入を維持し、吉野の山を育て守ることができました。山林の手入れをする人たちを「山守」といい、伐採時に3~5%が山守料として支払われたそうです。今も昔も、山守は地域のリーダーとしての役割も果たし、「密植・多間伐・長伐期」の木材生産システムを維持してきました。

写真/吉野林業4

その他、木材生産システムを維持できた外的要因としては、終戦後の農地改革で不在地主の農地所有を認めず、すべて小作人に解放させる措置が取られましたが、この改革では山林は除外されましたので、山林所有者が分散することなく、「借地林制度」と「山守制度」が維持することができたのではないかと思われます。

吉野の人々の知恵と愛情

森林保全の観点からも杉、桧の混植法が行われてきました。

杉、桧の性質に基づいて谷には杉を、尾根には桧を多く植栽するなど、土地の生産力にあわせて杉と桧の割合を調整し、単純一斉林を行いませんでした。

また、商品となる杉や桧だけを植えるのではく、尾根には落葉広葉樹などの雑木を残すことも行ってきました。これは台風銀座と言われる吉野の山を強風や大雨から守るためや、動物の餌場を守るため、自らの山菜などを得るためなど、山と共に生きる吉野の人々が先人から受け継いだ知恵と愛情によるものです。

吉野材は、自然の条件、林業家、社会的システムこれらの条件が整った上で、時代の変化や要求に対して柔軟に対応した結果、高級ブランド材の地位を確立したといえます。

吉野林業8

手間と時間を掛けて育成している吉野林業は、現在の住宅価格や市場の要求と生産コストが折り合わず吉野材の産出が減っています。しかしながら約500年もの間、さまざまな時代の変化に対応してきた吉野林業は、世界遺産となった熊野古道などの紀伊半島の観光資源と共に木材文化としての見直しや、次世代へ吉野林業という文化継承も視野に入れて、この状況をいかに乗り切るか知恵を絞っています。

木造住宅に使われる柱や梁は、国産材、輸入材を問わず各地の林業家の手により何十年もかけて育てられた木材です。そのことを頭の片隅に入れておいていただくと、より一層お家に愛着が持てるのではないでしょうか。